アウシュビッツにいたおじいちゃんが戦争犯罪者を撃つ復讐劇『手紙は憶えている』をNetflixで観た。衝撃のラスト。見事な復讐劇の考察。(後半ネタバレ)
手紙は憶えている
復讐劇の要はどのような仕打ちを受けていたかであると思う。復讐を誓うに至るまでを丁寧に描くことで主人公に共感し、復讐劇に感情が乗って重みが出る。
今回紹介する『手紙は憶えている』では、その『どのような仕打ちを受けていたか』を描かない。描く必要がないほど観る人が『知っている』前提で作られている。それは『ナチスドイツがアウシュビッツで行ってきたこと』であるからだ。数々の映画、小説等でも語り続けられている最悪の仕打ち。その被害者が、身分を偽ってのうのうと暮らし続ける戦争犯罪者に復讐を誓う。しかし、主人公はもうすでによぼよぼのおじいちゃんだった。
ある1通の手紙をきっかけに、家族を殺したナチスへの復讐の旅に出る男の姿を、アトム・エゴヤン監督が描いたサスペンス作品。
最愛の妻の死も覚えていられないほど、もの忘れがひどくなった90歳のゼブ。ある日、ゼブは友人のマックスから1通の手紙を託される。2人はナチスの兵士に大切な家族を殺された、アウシュビッツ収容所の生存者だった。
手紙にはナチスの兵士に関する情報が記されていた。兵士の名前はルディ・コランダー。身分を偽り、今も生きているという。容疑者は4人にまで絞り込まれていた。
体が不自由なマックスの思いも背負い、ゼブは復讐を決意し、1通の手紙とおぼろげな記憶だけを頼りに単身旅に出る。
「人生はビギナーズ」で史上最高齢のアカデミー助演男優賞に輝いたクリストファー・プラマーが主人公ゼブを演じ、マーティン・ランドー、ブルーノ・ガンツらベテラン俳優陣が顔を揃える。(以上、映画.comより)
予告編↓
85点
主人公はゼブというおじいちゃん、腕には識別番号が彫られている。それはアウシュビッツの強制収容所に入れられていたことを示す。同じく、収容されていて生き延びたマックスも同じ施設で過ごしていた。
マックスは戦後、身分を偽って裁きを逃れている戦争犯罪者を追う手伝いをしていた。
妻の死を機にゼブはマックスから渡された手紙の元、自分の家族、そしてマックスの家族を殺した戦争犯罪者への復讐の旅に出る。マックスは呼吸器を付けているので施設から出れない。その手紙にはマックスの思いも深く込められている。
手紙に書いてある人物を一人一人訪ねていくのだが、足取りが辿々しい。常にぷるぷる震えているようなおじいちゃん感。旅の途中に出会う子供とのほのぼのとしたやり取りを見るととても復讐者には見えない。
ナチス信奉者に出会い、恫喝されるシーンではお漏らしまでする。見ていて可哀想になってくる。そしてそのナチス信奉者がゼブの腕に彫られている識別番号を見た時の顔、ここサイッコーな顔するから要チェックですよ!苦虫を噛んで汁を滴らせるくらいの表現力。個人的にあの顔面演技、MVPです。
でもそんな弱々しいおじいちゃんだからこそ抜けれたピンチもあったり、ストーリーもしっかり組み立てられている。が、サスペンスにしては結構わかりやすすぎるところがあるので自分は『考えるのを止める』という秘技を使いました。
映画でも小説でも早い段階で核心部分に気付いてしまい、そのままその通りに進んで終わってしまうような物って見てても読んでても答え合わせにしかならず面白くないのでそういうのは意識的に素直に見るようにしています。
しかしこの作品、予想はしていたけどしっかり演出で予想出来ない部分を作っていたので良かったです。
ここからネタバレ
ゼブの真相に早い段階で気付いてしまうというのも、寝たら忘れる認知症の主人公、手紙を見つつ行動をする。の時点でクリストファーノーラン監督作『メメント』がまず浮かんでくるわけです。記憶が10分しか保たない男が身体にメモを彫ってアレするっていう。
メメントでは主人公が馬鹿すぎて全然乗れなかったのですが、『手紙は憶えている』ではその『馬鹿すぎる部分』が『認知症のおじいちゃん』に置き換えられているのですんなり入れました。
認知症をそう使うのって倫理的にどうなんだって話ですけどまぁ映画ですから。いんじゃないっすか(軽
結局全部マックスが仕組んだ復讐作戦だったわけですが、このうまく行きすぎな展開にマックス自身も驚いたんじゃないでしょうか。
自分の家族を殺したオットーとクニベルトシュトルムに対しての復讐を同時に完遂させたわけですから。
個人的にマックスの本来の目的はゼブに自分がオットーだと気付かせて絶望を味あわせることだったのではと考えました。マックスはずっと見てきたんです、オットーが昔を忘れてのうのうと現代を生き、楽しく過ごしているのを。
そんなオットーが近くにいて、自らが制裁を下しても本人は自分のしたことを覚えていないわけです。しかし、最後に出てくるマックスの机にはオットーの写真と手紙が乗っている。手紙は憶えているのです、オットーがしたことを。
覚えていない者に制裁を下したところでそれは制裁にはならないと考えたマックスは、かつての同僚と引き合わせ、今まで自分がやられていたと思っていた物が実は自分がやっていたということを思い出させる。これが目的だったのでは。
思い出さない確率の方が高いけれども、そうであったら当初の予定通りクニベルトシュトルムに制裁を与えることには成功、おそらくその後施設に戻されるか収監されるか、マックスも指示していたわけだから捕まる。そこで会った時に真実を告げるつもりだったのではないか。
マックスの活動によってクニベルトシュトルムもオットーも捕まる寸前だった、今から裁判を開始しても高齢で収監前に死んでしまうと考えたマックスによる最後の策。
この物語はマックスの復讐劇だった。
この映画を見返すと、道中子供と触れ合うシーンだったり、同性愛者として収容所に入れられていた人とハグするシーンだったり、良い人間的な行動をゼブはする。
おそらくそのようなことをマックスはずっと近くで見てきたわけです。非人間的なことをしていたゼブがソレを丸々忘れて。
マックスにとってゼブは自分を良い人間として描いているようにしか見えなかっただろう。それを考えるとマックスに同情してしまう。これが冒頭で述べた『復讐劇の要、このような仕打ち』と見返すと見えてくる。
クニベルトシュトルムの元へゼブがやってきた時、シュトルムは「いつか君が訪ねてくると思った」と言う。これは70年間嘘をつき続けてきた苦しみを味わっている仲間として迎えた言葉。我々も戦争被害者であると言いたげなシュトルムに自分は一切同情しなかった。
死んだ捕虜の身分を盗んで生き延びている連中の心を察せるほど心広くないです。
パコパコパコパコ子沢山で部屋にピアノ置いて幸せそうに暮らしてるわけですよ彼らは。
復讐されるべきとは思わないけどされてもしょうがないかなと思う自分は異常ですかね。なんつって。では、今日はこの辺で。明日もネットフリックス。
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